パリ2024オリンピックでメダルを2つも獲得した日本女子卓球界のエース早田ひな(はやたひな)さん。
2024年6月11日更新の女子卓球世界ランキングでは自己最高の5位に付けています!
2000年生まれ、伊藤美誠(いとうみま)さん、平野美宇(ひらのみう)さんと共に“卓球女子黄金世代”の1人として注目されてきました。
小学生時代から全国大会に出場してきた早田ひなさんですが、どんな学生時代を過ごしてきたのでしょうか。
そこで今回は、
早田ひなの学歴まとめ!
早田ひなの出身中学校はどこ?
早田ひなの出身高校はどこ?
早田ひなの出身大学はどこ?
について調べてみました!
早田ひなの学歴まとめ!
4歳から卓球を始めた早田ひなさんの学歴を簡単にまとめてみました。
2007年-2013年 北九州市立鞘ヶ谷小学校(きたきゅうしゅうしりつさやがたにしょうがっこう)
2013年-2016年 中間市立中間東中学校(なかましりつなかまひがしちゅうがっこう)
2016年-2019年 希望が丘高等学校(きぼうがおかこうとうがっこう)
日本代表選手を多く輩出した福岡の名門、石田卓球クラブで2004年から卓球を始めます。
平日(火曜日から金曜日)は学校終了後の18時から21時までの3時間、土日祝日は昼休憩を1時間で9時から17時までの7時間、週で26時間の練習を続けました。
卓球を始めた頃は右利きでしたが、早田ひなさんの動きをみて左打ちへの転向を促します。
小学生時代は全国大会優勝こそなかったものの、上位進出をする選手でした。
早田ひなさんには6歳の頃から続けている習慣があります。
練習の振り返りになるのではとお母さんの勧めで始めた「卓球ノート」です。
早田ひなさんは自分の頭の中にある疑問や悩みを「卓球ノート」に書き出します。
ノートに書き出す事で自分の強みや弱みに向き合い、客観的に問題点を解決する努力をし、次の日の練習にも反映させる事を繰り返しました。
今の早田ひなさんの強さの秘訣は「卓球ノート」にあるとも言われています!
早田ひなの出身中学校はどこ?
2013年、中学1年生で全国中学校大会で優勝します。
2014年も同大会で優勝、決勝で伊藤美誠選手を破り大会2連覇を達成します。
中学2年生の頃から海外遠征にも行くようになった早田ひなさんですが、必ず遠征に持っていくものがあります。
それは6歳の頃から使っている「ひよこ柄の毛布」です。
“ひな”の名前にちなんでお母さんが買ってくれた毛布を早田ひなさんは大切にしています。
今では「ひよこ柄の毛布」は早田ひなさんの精神安定剤になっています。
幼い頃から練習を続けてきた石田卓球クラブの石田大輔コーチは早田ひなさんの才能に気づき、専属のコーチに就任したのも2015年の中学3年生の時でした。
早田ひなさんは勉強も好きで学年でも上位の成績をとっていました。
得意科目は英語と社会、数学と国語は苦手でした。
2週間程度の海外遠征に度々行くようになると、テストで点数が取れなくなります。
成績の下がった早田ひなさんはお母さんに勉強したいと言ったこともありました。
早田ひなさんは1つの疑問を持ちました。
勉強は努力すれば必ず出来る、なぜなら、答えがあるから。
でも、卓球には答えがないのはなぜなのだろうか。
それまで将来の事について真剣に考えてこなかった早田ひなさんですが、卓球で自分が期待されている事実にも気づき始めます。
卓球ノートを続けていた早田ひなさんは卓球でしっかり頑張ろうと決意を固めるのでした。
早田ひなの出身高校はどこ?
1968年開校の私立共学校で、偏差値は39です。
卓球部に所属した早田ひなさんは2016年、高校1年生の時に全国高等学校総合体育大会卓球競技大会(インターハイ)の女子シングルスで優勝します。
同年、オーストラリアオープンでも初優勝を飾ります。
高校2年生の時には世界選手権代表選手に選出されます。
高校3年間は伊藤美誠さんとダブルス「みまひな」ペアを組み、国際大会で活躍します。
日本代表選手として海外遠征も多く、授業へ出席できない日も多かったですが、希望が丘高校は早田ひなさんを手厚くサポートします。
教科別に課題を特別に用意したり、授業に遅れることなく、卓球も集中できる環境を作ります。
卒業式が大会と重なり出席できなかった早田ひなさんの為に高校は後日、「早田ひなさんだけの卒業式」を開きます。
お母さんにも卒業する姿を見せる事が出来た早田ひなさんにとって「早田ひなさんだけの卒業式」は大切な思い出になりました。
卒業後も希望が丘高校との関係は続きます。
自身が卓球部の練習に参加したり、卓球部の卒業生が早田ひなさんの練習パートナーとなる事で大会で結果を残し、パリ五輪日本代表選考会で優勝する事が出来ました。
早田ひなの出身大学はどこ?
高校卒業後、2018年Tリーグ開幕から参加していた“日本生命レッドエルフ”に所属します。
現在も“日本生命レッドエルフ”のエースとして活躍し、2023~2024年は2シーズンぶりに5度目の優勝に貢献します。
目指していた東京オリンピックの代表選考には落選します。
2000年生まれの女子卓球黄金世代では早田ひなさんだけ、全日本女子卓球シングルでの優勝を果たしていなかったのです。
しかし、落選から1週間後に開催された全日本女子卓球シングルで初優勝します!
東京オリンピックではリザーブ選手として参加し、出番はありませんでしたがサポート役に徹します。
そこで早田ひなさんにとって大切な経験をします。
今まで選手として試合に出る時にどれだけ多くの人々のサポートを受けていたのか、そのサポートの有難みに気付く事が出来たのです。
その貴重な経験を糧に、2021年9月に開かれた卓球アジア選手権で女子団体、混合ダブルス、シングルスのすべてで優勝、3冠を達成します。
3冠達成は日本女子選手47年振りの快挙でした。
その後も活躍を続けた早田ひなさんは見事、パリオリンピック内定を勝ち取りました。
まとめ
今回は早田ひなさんの学歴、出身校について調べてみました。
- 石田卓球クラブで練習し、小学生時代は全国大会において常に上位に入る選手。
- 中間市立中間東中学校に入学し、全国中学校卓球大会で2連覇、海外遠征もはじまり、将来は卓球選手になる決意をする。
- 卓球強豪校、希望が丘高校に入学し、1年生でインターハイ優勝、2年生で世界選手権代表に選ばれる。
- 大学へは進学せずに、日本生命レッドエルフに所属する。
日本女子卓球選手の中でトップの成績を残すまでに実力をつけた早田ひなさん。
念願のパリオリンピックで大活躍だった早田ひなさん!
今後の活躍が楽しみですね!