河村勇輝はNBA移籍の可能性はある?経歴や天才エピソードも!

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バスケットボール男子Bリーグ〈横浜ビー・コルセアーズ〉に所属している河村勇輝選手!

類まれなるバスケセンスゆえに、彼の経歴や、移籍の噂などにも注目が集まっています。

そこで今回は、

  • 河村勇輝はNBA移籍の可能性はある?
  • 河村勇輝の経歴は?
  • 河村勇輝の天才エピソードは?

について、まとめてみました。

目次

河村勇輝のNBA移籍はある?

現時点では「可能性はあるが、確定ではない」といった状況です。

具体的な移籍の実現には、さらなる成長と適応が求められます。

河村勇輝選手は、NBAのメンフィス・グリズリーズと「エグジビット10」契約を結びました。

この契約は、NBAのトレーニングキャンプに参加し、シーズン開幕前に2WAY契約(NBAとGリーグの両方でプレーする契約)に切り替える可能性があるものです。

2WAY契約とは?

NBAの2WAY契約は、選手がNBAチームとその下部組織であるGリーグチームの両方でプレーできる契約形態です。

この契約は2017年に導入され、主にNBA在籍4年目までの若手選手が対象です。

主な特徴:

  • Gリーグでの活動: 2WAY契約選手はシーズンの大半をGリーグでプレーします。
  • NBAでの活動: シーズン中に最大45日間、NBAチームでプレーすることができます。
  • 契約人数: 各NBAチームは最大3人の2WAY契約選手を保有できます。
  • 年俸: 2WAY契約選手の年俸は、NBAの新人最低年俸の50%が基準となります。

この契約は、選手にとってNBAでの経験を積むチャンスを提供し、チームにとっては将来有望な選手を育成するための重要な手段となっています。

河村選手は、まずキャンプでしっかりとアピールし、2WAY契約を目指すことになります。

彼の挑戦は非常に厳しいものですが、過去には渡邊雄太選手が同じ道を歩み、成功を収めています。

彼のNBA移籍の可能性は、キャンプでのパフォーマンス次第ですが、非常に高い評価を受けているため、期待が持てます。

河村選手自身も、NBAでのプレーに強い意欲を示しており、努力を続けています。

河村勇輝は横浜ビー・コルセアーズで平均17.7得点、9.5アシスト、3.4リバウンド、2.0スティールという高い成績を記録しています​ 。

スキルも申し分なく、高速なプレースタイルと優れたシュート力を持ち、ポイントガードとしての役割をしっかり果たしています​ 。

河村勇輝がNBAに移籍する可能性はありますが、課題もあります。

NBAに挑戦するためには、さらにフィジカル面や競技レベルの向上が必要です。

また、NBAのチームとの相性も重要と言われています。

今後の成長と経験次第で、その可能性が具体化するかもしれません​ 。

Bリーグでの活躍ぶりから、「そろそろNBAに挑戦するのでは?」という声も、挙がっていました。

そんな中、2023年6月2日に所属チームから

B.LEAGUE 2023-24シーズンにおいて、河村勇輝選手と契約締結(継続)

と、発表されたことから、NBAへ移籍する可能性は低いと思われましたが、2024年7にはNBAへの移籍の挑戦をすることとなりました。

今後も、国内のバスケットボールを盛り上げてほしいですね!

2023年9月4日(月)に放送された【報道ステーション】では

  • NBAはバスケ選手みんなの憧れでもあるから、いずれは自分もという気持ちがある
  • けれども、今は自分に出来ることを、国内のプレーで魅せたい

と、決意表明されていました。

SNSでの反応は?

世間の意見は厳しい声もありますが、河村選手がNBAに挑戦することは素晴らしいので、河村選手の夢が実演するといいですね!

河村勇輝の経歴は?

河村選手は、どのようにバスケ人生を歩んできたのでしょうか。

〈Bリーグ〉〈ASICS〉〈NHK〉〈NumberWeb〉〈全日本大学バスケットボール連盟〉のインタビューや結果記事を基に、彼の軌跡を辿っていきたいと思います!

年代出来事
6歳バスケを始める
小学時代地元のミニバスチームへ加入
小学6年時に全国優勝を果たす
中学時代全中ベスト16
高校時代福岡第一高等学校へ入学
SoftBankウインターカップ2連覇。ベストファイブに選出される
年代別選手権に選出される
在学中に、三遠ネオフェニックスに特別指定選手として加入
大学時代東海大学に進学
在学中に楽天とマネジメント契約を締結
「30 UNDER 30 JAPAN」に選出される
インカレで、3ポイント王・優秀選手賞・アシスト王を複数回受賞
「B.LEAGUE AWARD SHOW 2019-20 」新人賞ベスト5
横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手として加入
アジア競技大会の男子日本代表候補選手に招集される
大学中退と同時に横浜ビー・コルセアーズとプロ契約締結
プロ時代(現在)FIBA男子アジアカップ2022日本代表に選出される
FIBAバスケットボールW杯2023日本代表に選出される
BリーグMVP、ベストファイブ、新人賞を受賞

バスケに夢中になった小学生時代

山口県柳井市に生まれた河村少年は、6歳からバスケを始めました。

小学2~3年の頃は、基礎練習に明け暮れていたそうです。

小学4年頃から実戦に加わり、上級生とプレーすることでバスケットボールにのめり込むようになりました。

チームをまとめあげた中学生時代

2014年春、柳井市立柳井中学校に進学しました。

この時の目標は「バスケと勉強を両立すること」だったそうです。

中学1年からスタメンとして試合に出場しつつ、週に3回学習塾に通いテストの順位は常に上位をキープしていたとのこと。

中学2年時に自身初の中国大会に出場した際は、相手チームに大敗を期すという苦い経験をしました。

「予選リーグの初戦で、岡山の玉島北中というチームに、みじめなくらいボコボコにされました。試合の序盤から1本シュートを決めるだけで大変で、後半は相手がほぼ控えメンバーだったのに40点差くらいで負けました。」

https://www.asics.com/jp/ja-jp/blog/article/hardcorebasketball-kawamura

「全国ベスト16」を目指して、チームの意識改革を始めた河村選手。

練習に身が入っていない部員を注意するのではなく、寄り添うことで、部員一人ひとりのモチベーションをアップさせ、「全国を目指すんだ」という意識を強くさせていきました。

河村選手の努力や部員の奮闘もあって、目標としていた全国ベスト16を果たしました。

恩師・井手口監督との出会い

河村選手は、井手口孝監督にスカウトされる形で、バスケ強豪校・福岡第一高等学校へ入学しました。

井手口監督の「一緒に日本一になろう」を合言葉に、多い日は1000本決めるまでシューティングを続けていたそうです。

高校2年時にウインターカップを制すると、3年の夏にはアメリカでワークアウトを経験し、本場のプレースタイルを勉強したそうです。

そして、高校在学中に〈三遠ネオフェニックス〉と2019-20シーズンの特別指定選手契約し、その後18歳8ヶ月23日で、B1史上最年少出場及び史上最年少得点の記録を更新しました。

≪世界≫を見据えた大学時代

河村選手は、関東のバスケ強豪校・東海大学に進学しました。

在学中は、新型コロナウイルスの影響もあり、関東大学のリーグ戦は中止になるなど、イレギュラーな出来事がありましたが、インカレでは優勝を経験し、3ポイント賞を受賞する活躍を果たしました。

また、在学中に楽天とマネジメント契約したり、横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手としての選出入団したりなどと、多方面で話題に挙がることも多かったですね。

そして、大学2年時に東海大学を中退・横浜ビー・コルセアーズとプロ契約しました。

オリンピックに出場して、日本代表のポイントガードになるという明確な目標があります。特にオリンピックの舞台にはすごくこだわりがあって。4年に1度しかありませんし、年齢の壁もありますので、やっぱり挑戦したいというのが決断した理由です。昨年の末ごろにはプロとしてプレーしていくことを決めていました。大学に入ったのは、フィジカル面の向上と、バスケットIQを高めることが目的だったのですが、2年間で重要な課題は習得できたと思っています。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/yokohama/article/003/50/

河村勇輝(バスケ)の天才エピソードも紹介!

抜群のバスケセンスの持ち主・河村勇輝選手には、数々の驚きエピソードがあります!

過去のインタビューや実績から、深掘りしていきましょう。

  • 小学6年の頃、父・吉一さんが手作りしてくれた自宅のゴールで自主練習に打ち込み、小学6年生のときは自らに1日1000本のシューティングを課していた。
  • 中学時代、キャプテンとして部員のモチベーションUPに重点を置いた意識改革を行い、チームをベスト16へ導く。福岡第一高等学校・井手口監督は、「河村のプレーは正直印象に残っていないんです」「キャプテンとしてよくチームをまとめていたし、自分だけでなく仲間のことを考えながらプレーしていたから」と、スカウトした理由はプレーだけでなくリーダーシップであったことを語っていた。
  • 高校時代、夏場には多い日は1000本決めるまでシューティングを続けた。ステップバックやクイックリリースなどテーマを決めながら黙々と打ち続ける姿は、井手口監督がお金を払ってでも見る価値があると称えたほど。
  • 高校在学中、三遠ネオフェニックスに特別指定選手として加入後、試合数日前に渡されたプレーブック(戦術がまとめられた資料)を一晩で覚える
  • 三遠ネオフェニックスでの初練習で、外国国籍選手からの冷ややかな雰囲気のなか、持前のアシスト力を続けて見せ、心をつかむ。
  • プロ後、初めて足に大きな怪我をし、3週間試合に出られない日々を過ごす。その間、各選手の特性を研究し、復帰後の試合へ活かす。横浜ビー・コルセアーズ・青木勇人ヘッドコーチが「怪我前より確実にアシストのバリエーションが増えたし、プレーの幅が増えた。」と絶賛するほどだった。
  • 2022年、アメリカのNBA情報サイト〈HoopsHype〉が発表したドラフトランキングで28位にランクイン。日本人唯一のランクインを果たす。

ほかにも、

  • SNS内で「趣味が欲しい」と呟いたところ、YouTuber・はじめしゃちょーさんから「遊戯王かポケカしよう!」と返事が来る。なお、河村選手本人は「ムシキングしか勝たん!!」とのこと。
  • 〈Bリーグバレンタイン2023モテ男選手〉では、ダントツの1位を獲得(2位の牧隼利選手と約8200票差)。
  • 〈Bリーグホワイトデーお返しキャンペーン2023〉で、河村勇輝スペシャルモデルのG-SHOCKが特別に作られた。

などなど、天才・ほっこりエピソードがたくさんありました!

自分のプレーだけでなく、周りへの配慮や、得た知識を試合へ落とし込むなど、頼りになるエースであることは間違いないですね!

まとめ

今回は、河村勇輝の経歴やNBA移籍はある?天才エピソードもについて、調査してみました!

幼少期からバスケットボールを始め、努力を惜しまずにバスケに打ち込んだ結果が、このような素晴らしい経歴へと繋がったことがうかがえますね。

今後も、持前のリーダーシップを活かして、日本バスケ界を盛り上げてほしいですね! 

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